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【スペシャル・レポート】鈴木茂をゲストに招いた書籍『みののミュージック』刊行記念イベント[TALK&PLAY]
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書籍の刊行を記念した公開収録イベント[TALK&PLAY]が聖地・渋谷BYGで開催!
文:鈴木伸明
スペシャルゲスト鈴木茂の
絶品プレイ&衝撃発言!
YouTubeチャンネル“みのミュージック”やミノタウロス名義での音楽活動で知られるみのの愛蔵ディスクガイド本『みののミュージック』の刊行記念・公開収録イベントが渋谷B.Y.G.で開催された。当日はスペシャルゲストとしてギタリストの鈴木茂氏が登場、他では聞くことのできないディープな内容のトーク&ギター・セッションが繰り広げられた。当日のレポートをお届けしよう。
2025年6月9日(ロックの日)に発売された『みののミュージック』は、みの本人の解説で“100年先も聴き注がれるべき私的音楽名盤”を紹介したレコードコレクション本である。私的名盤と言いつつも、ビートルズをはじめとする60年代以降の海外ロックの必聴作品、エレキ・インストから民謡まで網羅した国内の傑作の数々を、時代背景を汲んだ独自の視線でとらえ、創造性や音作りの面から実にわかりやすく紐解いた、新世代向けの定番ディスクガイドと言える内容だ。
「はっぴぃえんどと日本語詞」という章では、神格化された日本語ロックバンドの祖としてではなく、“歌詞表現の革新”を成し遂げたバンドとしてのはっぴぃえんどの功績を語っている。みのにとってギタリストの鈴木茂は昔からのヒーローのひとり。いちファンとしての熱い思いは、トークからも垣間見ることができた。
会場となった渋谷B.Y.G.は、1969年創業の渋谷で最古のロック喫茶兼ライブハウス。1970年代には、はっぴぃえんどがライブ出演したこともある縁の地である。たくさんの音楽好きが集まった会場で、ふたりのトークショーはおだやかに始まった。
ジミヘンっぽいギターを気に入ってくれて
はっぴぃえんどに加入することに(鈴木茂)
みの:さんざん聞かれていると思うんですが、はっぴぃえんどに加入した時の話を聞かせてください。
鈴木:その前から説明しないといけないんだけど、細野(晴臣)さんと林(立夫)くんと3人でグループを作って、ボーカリストは仕事のたびに変わっていたんです。小坂忠さんもよく一緒にやっていたんだけど、ある時、小坂さんが5万円が入った給料袋を細野さんの目の前にちらつかせて、エイプリル・フールに引き抜いてしまったんですね。そのあと、小坂さんはミュージカルをやることになって、細野さん、大瀧さん、松本さんの3人で曲作りをするようになった頃、細野さんの家に呼ばれたんです。「12月の雨の日」のイントロをつけてくれと。その頃はジミ・ヘンドリックスが大好きだったから、そういうイメージのギターを弾きました。自分たちの曲に合うギターかどうか、そこで判断しようとしていたんだと思います。そのギターを気に入ってくれて、はっぴぃえんどに加入することになりました。
みの:こういうことを気軽に言ってはいけないのかもしれないんですが、「12月の雨の日」を弾いてもらってもいいですか。
鈴木:いいですよ(といって、「12月の雨の日」のリード・パートをプレイ。滑らかでありつつシルキーなトーンが、心地よく会場に響き渡った)。
みの:確かにジミヘンを感じますね。
鈴木:ジミヘンってあんまりテンションを使わないじゃないですか。ディミニッシュ・コードとか使わない。せいぜいセブンスぐらいだった。この前、井上鑑さんに会ったら、「茂さん、昔、僕が持っていった曲が弾きづらいからってディミニッシュのコードのところを変えてくれって言ったよね」って。そういうことをやっていたぐらい、シンプルなコードワークが好きだったんです。はっぴぃえんどのコードはシンプルで馴染みやすかった。
ローウェル・ジョージが、
スライド・ギターと向き合うきっかけになった(鈴木茂)
愛用のストラトキャスターに加えて、エフェクターボードも会場に持ち込んでのギター演奏を聴かせてくれた鈴木茂。ボードの中には、伝説のROSSのコンプレッサーが2台直列でつながれていた。この日、今では代名詞とも言えるスライド・プレイに向き合うきっかけについても語ってくれた。
みの:はっぴぃえんどの3枚目のアルバムのレコーディングでリトル・フィートにも会っていますよね。
鈴木:「さよならアメリカさよらなニッポン」という曲を作って、スライドのうまい人がいるからって連れてきてくれたのがローウェル・ジョージだった。目の前で演奏を見て、本当にすごかった。当時からスライドには興味があって、ライ・クーダーを聴いたりしてはいたけど、自分らしいテイストは出せなかったんですね。ローウェルは、ライ・クーダーとは違うテイストのスライドをプレイしていて、自分も工夫すればいろいろできるのかなと思って、スライド・ギターと向き合うきっかけになりました。そこでリトル・フィートと交流ができて、彼らのレコーディングを見学に行き、自分のアルバムもここで録りたいと思ったんです。
「マイ・スウィート・ロード」の
リズムとコードを変えて「砂の女」に(鈴木茂)
話題は、今年50周年を迎える鈴木茂の大名盤『BAND WAGON』についてにも及んだ。
みの:現地調達でミュージシャンを揃えてレコーディングするという、かなり野心的なアルバムでしたね。
鈴木:それまでとは違う状況でやってみたいと思っていました。リトル・フィートとできたらいいと思ってロスにやってきたら、彼らはツアーに出ていた。リクエストとしては他に、ベースはジェームス・ジェマーソンかチャック・レイニー、ドラムはジム・ゴードンかジェームス・ギャドソンとやりたいと連絡しておいたんです。空港についたら誰ひとりつかまっていないと(笑)。そのうち、ダグ・ローチが一緒にやりたがっているということで、サンフランシスコに行って、5曲録りました。そうこうしているうちにリトル・フィートがツアーから帰ってきて、ビル・ペイン、リッチ・ヘイワード、サム・クレイトンが参加してくれて。曲は日本で5曲ぐらい作ってあって、残りは向こうで作りました。たまたまジョージ・ハリスンのライブを観に行って、「マイ・スウィート・ロード」がカッコよかったなって(とギターでコードを弾く)。リズムを8ビートから16ビートにして、ディミニッシュ・コードに行くところをオーギュメントにして、この曲になったんです(と言って「砂の女」のバッキングをプレイ)。
もともと日本語って
ロックに合わないと思う(鈴木茂)。
それって衝撃発言!(みの)
日本語の歌詞について、予想外の発言が飛び出す場面も。
みの:作詞は松本隆さんですが、どのように進めていったんですか?
鈴木:向こうで作った曲は詞がなくて、当時は国際電話しか連絡手段がなかったので、なるべく短く、言葉の数を伝えて、数日したらまた電話で歌詞を言ってもらって書き写して。単語の文字数しか伝えてなくて、曲調などは言ってなかったから、出来上がった曲を聴いてびっくりしたみたい。
みの:『BAND WAGON』の詞は、松本さんの他の作品とは違う感触があるように思うんです。象徴的で自由な要素が多いような気がします。
鈴木:そうだよね。松本さんは、その人をイメージして詞を作っていると思うんだけど、当時もらった詞は、松本さんの中にあった言葉が出てきていた気がする。僕は曲を作る場合は、曲先、詞先が半々ぐらいだった。でも、大瀧さんはいつも詞を先にしていた。今考えるとそれが正解だったのかなと思う。というのも、メロディが先にあってそこに詞を乗せると、その詞には松本さんがいないことがある。詞が先だと松本さんの心から出た言葉、松本さんが描いた世界観がある。そっちのほうが欲しいんだよね。大瀧さん方式で無理やり作らせるのがよかったなと、今になって思う。
みの:僕は「微熱少年」の歌詞が好きなんです。あの曲は「oh〜」と歌っているところも多くて、ああいうのは国際電話のやりとりで可能だったのかなと不思議だったんです。
鈴木:もともと日本語ってロックに合わないと思っていてね。内田裕也さんがロックやるなら英語だって言ってる時代で、僕もそうだなと思っていて。「カキクケコ」なんてすごいトゲトゲしいでしょ。
みの:あの、それはけっこう衝撃発言かもしれません。日本語ロック論争の陣営を超えた瞬間ではないですか(笑)。
鈴木:例えば、「キャニオン」って言葉は英語で音符にするとふたつ。カタカナにすると5つ。日本語でも、「教師が醤油を舐めて」とか、小さい音が入っていると丸くなるわけ。英語のほうが丸みが出てくる。言葉を選べば解決できるんだけど。いつも松本さんに言われるのは「茂の曲は音符が少ない。詞を作ると俳句みたいになる」と。だったら気をきかせて小さい字の入った言葉を選んでよと思ったんだけど(笑)。裕也さんは、日本人が英語で勝負しろって言っていたの。でも、母国語で歌うのが自然だし、それがいいと思って、僕は今でも日本語で歌っているけど、ロックという音楽に合うのは英語だと思う。そう思わない?
みの:僕ははっぴぃえんどの皆さんが言っていたことを信じてきたんですけど(笑)。でも、二元論的に言われていたので、第三極の意見があってもいいですよね。まさかこんな話を聞けるとは! はっぴぃえんどが、日本語をロックにはめたというのは、神話みたいになっているんですけど、神話の登場人物からタネあかしを聞けたみたいな(笑)。
鈴木:松本さんは全然違うことを言うだろうね。いろんな意見があっていいと思うんだけど。メロディには上がったり下がったりが必要で、音符の数で言葉が決まってしまうわけだから、メロディに合わせてリズムが生まれる。松本さんの詞は、歌いやすいし、リズミックに歌える。いろいろな人に詞をお願いしたけど、松本さんは一番リズミックな仕上がりになりますね。
ジョージ・ハリスンは、
曲の中で大切なフレーズを弾く
そういう方向性を目指そうと(鈴木茂)
みの:『みののミュージック』は私的名盤を紹介した本なのですが、鈴木茂さんの私的名盤をあげてもらえますか。
鈴木:まずはジミ・ヘンドリックスの『エレクトリック・レディランド』。この中の「All Along The Watchtower」という、ボブ・ディランのカバー曲が好きです(と言ってギターをプレイ)。ディランがジミヘンのカバーを聴いたら感動して、印税をあげたいくらいと言ったそうで。ジミヘンは型にはまっていないところがいいなと思っていて。もう1枚はプロコル・ハルムの『ソルティ・ドッグ』。オルガンのマシュー・フィッシャーが作った曲が好きでした。「Pilgrim Progress」はとてもいい曲。
みの:ギタリストはロビン・トロワーで、彼もジミヘンから強い影響を受けていますね。
鈴木:そうですね。僕がいまだにソロを弾くときに基本になっているのは、10代の頃に聴いた音楽です。小学生の頃、将来どんな職業につくか考えて、ミュージシャンになろうと決めたんです。中学1年でギターを始めて、どういうギタリストになろうか考えた時、ジョージ・ハリスンのような方向性がいいなって。難しいことは弾かないけども、曲の中で大切なフレーズを弾いている。速弾きとか難しいフレーズは追求せずに、どういうフレーズがその曲に合うのか。アレンジや作曲という部分ですよね。メロディを考えるというのはある意味で作曲だから。そういう方向性を目指そうと思ったんです。
みの:最年少のリード・ギタリスト、アルバムの中で数曲だけ歌うとか、はっぴぃえんどでの立ち位置はジョージ・ハリスンに通じるところがありましたね。
鈴木:ジミヘンは大好きだけども、ミュージシャンとしてとらえた場合は、ジョージ・ハリスンのほうが刺激的で自分に向いていると思いました。はっぴぃえんどの中では、自分がロック的な要素を出していたので、立ち位置は大切だったと思っています。大瀧さんと細野さんが出すアイディアやメロディに、僕のロック的なアイディアが加わって、いままでにない音楽を作っていた。バランスはよかったと思うんです。今も若い人がライブに来てくれる。50年聴き続けてくれるというのはありがたいことです。新しい音楽を支持するのは若者で、感受性が豊かなので、シンプルな音楽が好まれるのではないかなと。ひとつひとつの音がはっきりわかって、演奏はヘタウマのほうがいい。心に入ってくる音は、技術とは関係ないんです。それで、シンプルなメロディがいいと思います。
トークセッションのあとは、ふたりによる「八月の匂い」のギター・セッションが展開された。鈴木茂のリフに乗せて、みのがスライドギターをプレイ。途中から入れ替わって、鈴木茂の絶品スライドが響きわたった。5分にも及ぶジャムセッションをたっぷり堪能してこの日のイベントは幕を閉じた。
ロック・レジェンド本人から語られるエピソードの数々は非常に興味深い内容ばかりだった。音楽への造形が深いみのだからこそ引き出せた話題も多かっただろう。またチャンスがあればこのようなトークセッションを見てみたいと思った。
海外&国内の名盤を大ボリュームで紹介した『みののミュージック』は、はっぴぃえんどに限らず、伝説のグループについての独自の切り口は、非常に興味深い論評となっている。未読の方は、ぜひ手にとって素晴らしきレコードの世界に触れてみてほしい。
◎書籍『みののミュージック』
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◎鈴木茂のアニバーサリーLIVE!
鈴木茂の『BAND WAGON』発売50周年記念ライブ〜Autumn Season〜は、ビルボードライブ東京、ビルボードライブ大阪で11月に開催予定。こちらも要チェック!